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ピリピ人への手紙 1:21 - Japanese: 聖書 口語訳

21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。

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ALIVEバイブル: 新約聖書

21 なぜなら、私は救世主のために生きており、死ぬことは、なおさらいいからだ。

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Colloquial Japanese (1955)

21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。

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リビングバイブル

21 私にとって生きることは、キリストのために良い機会を得たことを意味し、死ぬことは、さらにすばらしいことを意味するからです。

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Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳

21 わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

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ERV 訳 ー 読みやすい聖書 ー(新約聖書)

21 なぜなら私は救い主のために生きており、死ぬことはなおさら良いことだと信じているからだ。

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聖書 口語訳

21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。

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ピリピ人への手紙 1:21
16 相互参照  

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。


パウロも、アポロも、ケパも、世界も、生も、死も、現在のものも、将来のものも、ことごとく、あなたがたのものである。


わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。


だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。


それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。


生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。


しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。


そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。


しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。


わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。


人はみな、自分のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことは求めていない。


わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。


またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。


私たちに従ってください:

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